ブランド
出発点は「喜ぶ顔を見たいから」
梅里窯
- 1928年
- 大谷焼
- 森裕紀
歴史
歴史はあきらめない人の想いから始まった
大谷焼は、江戸時代後期の1780年に四国八十八ヶ所霊場の巡礼に来た豊後の国(大分県)の焼き物細工師・文右衛門が大谷村を訪れ、初めてろくろ細工を披露し、赤土で焼き上げたことが始まりといわれています。
当時の阿波の国(徳島県)では焼き物は極めて珍しく、時の藩主・蜂須賀治昭公により、大谷村に藩営の窯が築かれ阿波で初めて磁器が焼かれることになりました。
ところが九州から職人を雇い、高級な原材料を取り寄せるなどしていたため採算が取れず、わずか3年で藩窯は廃止となりました。
その後、藩窯の設立にも携わった藍商人の笹井惣佐衛門が納田窯(おさだがま)を開き、信楽焼の職人を呼び寄せ弟の納田平次兵衛(あさだへいじべえ)に陶器の製造技法を習得させました。
そのようにして、地元から調達した原料材を使い、藍甕(あいがめ)や水甕、睡蓮鉢などの大物陶器や徳利などの日常使いの雑器の生産をはじめました。
現在、大谷焼の窯元は数軒に減りましたが、私たち梅里窯では日常生活で使いやすい実用的かつ機能的で美しい製品を作り続けています。
特徴
一途に「使いやすさ」を追求
私たち梅里窯では、江戸時代後期に始まった大谷焼の伝統を受け継ぎ、板作り・玉作り・紐作り・ろくろなどの陶芸技法をもちいて器や置物を制作しています。
私が作る陶器には、見た目ではわからない工夫が込められた商品が多いのも特徴の1つで、例えば傾けてもこぼれない急須や滴らない醤油さしを作っています。
その急須や醤油さしを気に入って購入してくれた方が、お茶や醤油の滴りを気にすることなく気持ちよく注げて嬉しくなる、またその注ぐ様子を見ていた周りの方が「滴りがこぼれ落ちなくて良いですね」と道具を褒めてくれて、もう一つ喜びが増える。
その喜んだ顔が見たくて、他の種類の食器でも取っ手などのパーツの位置や厚み、口当たりの感触、高台の大きさまで、細部にこだわって研究しました。
梅里窯の「究極シリーズ」は、道具としての便利さや機能性、佇まいの美しさを考え抜いた陶器シリーズです。
お客様へ
使う人にも、そばにいる人にも感動を与えたい
私たち梅里窯のコンセプトは「美しく、安全に、使いやすく」。
お客様の喜ぶ顔が見たくて、日々研究を重ねています。
究極シリーズのコーヒーカップは、軽さ・持ちやすさ・器の容量・保温性・口当たり・収納の6点にこだわって制作した結果、一度使ってしまうと手放すことのできない究極の器となりました。
時代茶碗シリーズは、いろんな方の食生活を想い、器の大きさや深さで使いやすいものを選んでいただけるよう製作しています。
私たちの物づくりのこだわりの要素が、使ってくださる方々の世代を問わず、様々なライフスタイルに心地よく寄り添います。
ご結婚やご就職、ご長寿のお祝いとして、また日頃の感謝の気持ちを込めて贈るプレゼントとしておすすめです。
「使う人だけでなく、そばにいる人にも感動を与えたい」。
たくさんの喜ぶ顔が見たいから、これからも暮しに馴染み心に響く物づくりを続けます。
受賞歴
2008年 TVチャンピオン2 陶芸王選手権優勝