三河仏壇とは
三河仏壇は、愛知県岡崎市を中心とした三河地方で作られる「金仏壇」です。
「金仏壇」とは黒の漆塗りが施され、金箔で飾られた仏壇で、その絢爛豪華な偉容は、浄土の世界を表現しているとも言われています。
三河地方で仏壇作りが始まったのは江戸時代中ごろです。この地は矢作川の水運によってもたらされた良質の木材、近隣の山で採れる天然漆など仏壇の原材料に恵まれていました。
金仏壇には欠かせない金箔も、江戸時代には全国的にその使用を制限されていましたが、三河は徳川家康生誕の地ということで特別に許され、金箔技術を生かした仏壇の生産が隆盛しました。
三河仏壇は、そんな絶好の環境のもと、地域に根差した仏壇として発展してきました。
仏壇の普及期から続く三河仏壇の歴史
日本で仏壇を拝む習慣が広まったのは、江戸時代の中頃。キリシタンの取り締まりのため「寺請制度」が敷かれ、すべての住民はいずれかの寺院の檀家となることが義務付けられました。仏教を篤く信仰するようになった人々は、家の中の「寺院」としての仏壇を求めるようになりました。
文献によると、三河仏壇はこれと同時期の1704年に、仏壇師庄八家により創始されたとされており、300年以上の歴史を誇ります。
信濃国から三河湾へと流れ込む矢作川の水運により、マツ、スギ、ヒノキなどの良質な木材がもたらされ、天然漆は三河北部の猿投(さるなげ)山麓で採れました。矢作川沿いの地域には、次第に職人が集まり、仏壇の産地が形成されていきます。
江戸時代初期から、幕府は貨幣鋳造を独占し、金銀銅の地金も管理していました。金箔の生産もきびしく統制され、「箔打ち禁止令」なども出されていましたが、三河は家康生誕の地ということで、幕府の特別な保護を受け、使用が許可されました。そのため、絢爛豪華な三河仏壇の製作技術が発展し、今に伝えられたといわれています。
幕末から明治初期にかけて開業者も増えていき、明治も中頃になると、岡崎市だけでなく、周辺の幡豆郡、西尾市、刈谷方面にも仏壇作りがひろまっていき、三河地方全体が仏壇の一大産地となりました。
三河仏壇は、昭和51年(1976年)には経済産業大臣から、優れた日本の伝統産業を後世へ継承するための基準である「伝統工芸品」の指定を受けています。
拝む人の生活と習慣への心配りを忘れない三河仏壇の特徴
三河仏壇の特徴は、まず「うねり長押(なげし)」。仏壇の前面上部の彫刻部分「長押」が上にふくらんだ曲線になっているため、中の豪華な「宮殿(くうでん)」がよく見えるようになっています。
三河地方の家屋は奥の部屋に押入れがあり、そこに仏壇を納める家が一般的です。そのため高さは180センチ弱で、奥行き・幅も、押入れに入るサイズにまとめられています。「うねり長押」は、限られた空間をより豪華に見せる工夫のひとつであり、また、採光の役割も果たすため、陽の光が差しにくい奥の間でも、本尊を拝みやすくなっています。
また、台は低めに作られており、三杯引き出しになっています。名古屋地方は木曽川、長良川、揖斐川などの大きな川が頻繁に水害を起こしていました。大事な本尊が水をかぶらないよう、仏壇の台は高く作るものとされていました。しかし、三河地方はそういった危険性が低かったため、台は低く作られており、日々のおつとめがしやすくなっています。
まさに地元の風土に根付いた作りとなっており、それは現代の多くの人々の生活にもあったものといえます。
金箔や彫刻などの装飾も豪華で精緻。特に欄間、中障子の「花子彫」は精巧で、三河仏壇の大きな特徴のひとつです。
しかし、職人の技巧が施されているのは、目に見える部分だけではありません。全体は釘を使わない「ほぞ組み」で組みあげられ、宮殿には「肘木斗組(ひじきますぐみ)」と呼ばれる技法が使用されている点も、「伝統工芸品」たる三河仏壇を名乗る条件となっています。
漆、彫刻、金具、蒔絵、金箔押しほか、製作工程は8つに細分化され、それぞれ専門の職人が担当しています。木地師、宮殿師、彫刻師、塗師、錺金具師、蒔絵師、箔押師、組立師は「八職」と呼ばれ、それぞれが高度な技術を持ち、全員でひとつの仏壇を組み上げます。その作業工程は、できるだけ同時進行するなど効率化されてはいますが、それでもひとつの仏壇を組み上げるまでに半年から一年を要します。
まさに歴史と技巧が込められた、大事な家族、ご先祖を祀るにふさわしい仏壇といえます。
三河仏壇の現代での使われ方とお手入れ方法
三河仏壇は、まさに地元の風土に合致した「地産地消」の仏壇といえますが、もちろん、他の土地で使うことも、まったく問題はありません。
仏壇はやはり長く使うものです。世代を超えて守り伝えられていくべきものなので、日々のお手入れは欠かせません。
金仏壇は漆塗りの部分と金属部分からなります。漆塗りの部分は布で拭いてもかまいませんが、金属部分、特に金箔の部分は拭くとはがれてしまうので、毛はたきでホコリを払うだけにしてください。
彫刻や金具など、細かい細工が施されている部分は、特にホコリがたまりやすいので頻繁に毛はたきで落としてください。仏壇は傷つきやすいので、損傷を防止するため専用の道具をそろえるのが無難です。
そもそも、仏壇を構成する漆や金箔は高温多湿に弱いので置き場所にも注意が必要です。劣化を防止するために直射日光の当たる場所、湿気のたまりやすい場所は、極力避けてください。
まずは汚れを落とし傷みを防止することで、長く仏壇の荘厳さを保つことができます。
しかし、それでも経年劣化により色あせてきたときは専門の業者に頼むことをおすすめします。仏壇の修復は「お洗濯」と呼ばれており、全体を分解・洗浄して組みなおすことは一般的です。
三河仏壇の見学・体験ができる場所
永田や仏壇店 岡崎総本店
所在地 | 愛知県岡崎市上六名3-13-12 |
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電話番号 | 0564-54-0761 |
定休日 | 年中無休 |
営業時間 | 10:00~18:00(夏季 10:00~19:00) |
HP | https://www.nagataya.co.jp/shop/okazakisouhonten.html |
備考 | 2フロアにショールームが展開され、伝統工芸品の三河仏壇ほか多種多様な仏壇、仏具がそろっている。修理の相談なども受け付け。 |
株式会社愛知屋仏壇本舗
所在地 | 愛知県岡崎市能見通1-81 |
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電話番号 | 0564-21-3341 |
定休日 | 火曜日 (祝日は営業) |
営業時間 | 9:30~18:30 |
HP | https://aichiya.co.jp/ |
備考 | 3階のフロアには自家製伝統的工芸品仏壇を揃える。三河仏壇の歴史や製造工程の資料展示もあり、伝統の技を体感できる。 |