大洲和紙とは
大洲和紙(五十崎和紙)とは愛媛県喜多郡内子町で生産されている手漉き(てすき)和紙です。
大洲という地名は喜多郡に隣接する大洲市で見られますが、内子町は江戸時代、大洲藩に属しており、現在も内子町での生産が続けられています。
大洲和紙は四国随一の清流小田川の水を使用し、伝統的な和紙の製法「流し漉き」によって生産されます。
大洲和紙は漉きムラが少なく薄いにも関わらず、強度が高いため、特に書道用の高級半紙として重用されています。
でき上がりもさることながら、生産されてから3~4年経った大洲和紙の書道半紙は、保存されている場所の寒暖差や湿度の変化によって紙が収縮や膨張を繰り返し、紙密度が高くなります。それにより、独特の「枯れ」が生まれ、墨色や線質の冴えた作品を生み出すことが可能です。
その「枯れ」を生む品質の高さから、全国の書家に高い支持を受けているのです。
平安時代から続く日本一の和紙、大洲和紙の歴史
大洲和紙の歴史は古く、平安時代の書物「延喜式(えんぎしき)」に「伊予の紙」として記述が見られます。
また、1798年に国東治兵衛(くにさきじへい)によって著された製紙についての解説書「紙漉重宝記(かみすきちょうほうき)」にも、大洲和紙の起源が取り上げられています。
「紙漉重宝記」によると、伊予の大洲に紙漉きの技術を伝えたのは歌人である柿本人麻呂。柿本人麻呂が現・島根県、石見の国の守護を務めた際に紙漉きの技術を起こし、その技術が伊予の大洲に伝わったとされています。
平安時代以降も大洲和紙の生産は続けられていましたが、現在の形になったのは江戸時代中期です。当時の大洲藩の藩主、加藤泰興(かとうやすおき)は越前から僧である宗昌禅定門(しゅうしょうぜんじょうもん)を紙漉きの師として招集しました。
そして、宗昌禅定門の技術指導によって紙漉きは大洲藩の産業として発展していきます。その発展はすさまじく、和紙を藩の財源とするため、生産地である内子には紙役所が置かれるほどでした。
大洲藩で生産された大洲和紙は大阪へ運ばれ、価値を高めていきます。大洲和紙は「品質日本一」の和紙。大洲和紙は1827年に著された経済書「経済要録」の中でもそう記述されており、珍重されていた様子がわかります。
明治時代から大正時代にかけては小田川沿いに製紙工場が建ち並びました。業者も430名を超え、大洲和紙の生産は最盛期を迎えます。
しかし、機械化のあおりを受けて戦後は一気に衰退。
それでもなお、昔ながらの手漉き製法を守る人々が大洲和紙の伝統を支えています。
そして1977年10月、大洲和紙は伝統的工芸品として指定されました。
圧倒的な品質の高さを誇る大洲和紙の特徴
大洲和紙の特徴はなんといっても伝統的な「流し漉き」製法での生産とその品質の高さです。
大洲和紙は一枚一枚手作り。原料は楮(こうぞ)や三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)、麻や藁などの植物です。
大洲の和紙作りはまず原料の植物を加工できるレベルまで柔らかくするため、数日間水に浸すことから始まります。
続いて水に浸けられ柔らかくなった植物を、ソーダ灰を加えた釜で煮沸。この工程により、和紙へ余分なものが混じるのを防ぎ、植物の繊維をほぐれやすくします。
煮沸を経た原料は不純物を取り除くため、水洗いが行われます。その後、原料は1週間近く日光が当たる水槽の中で保管。水槽を漂う中、煮沸で生じたアクが洗い流されます。アク抜きの工程が終われば、原料をさらし液と水に混ぜて広げ、次の漂白の段階です。
漂白を経て白くなった原料は和紙の劣化を防ぐため、丁寧にさらし液を落とします。そしてこの段階で再び不純物が混ざらないようゴミが取り除かれます。
ゴミの除去が済むと、叩解(こうかい)の工程。叩解とは叩解機(ビーター)を使って原料の植物繊維をバラバラにほぐすことです。
この叩解の工程が終われば、ようやく紙漉きの工程に入ります。まず、漉き舟と呼ばれる道具の中にほぐした原料とトロロアオイから作った糊、水を入れてよく混ぜ、桁をはめたすだれで紙を漉いていきます。この紙漉きの工程には「流し漉き」と「溜め漉き」の2種類があり、大洲和紙で使用されているのは「流し漉き」です。
流し漉きでは、糊や水と混ぜた原料をすだれにすくって全体に広げることで、まず和紙の表面となる膜を作ります。次に先程と同じように原料の混合液をその膜の上にすくい、前後左右に揺らします。
この前後左右に揺らす動作を繰り返すことで紙の厚さを調節しますが、全体を均等な厚さにするには熟練の技が必要です。適当な厚みになれば、桁からすだれを外し、重ねていきます。
漉かれた和紙は一晩寝かせたあと、圧搾機で脱水。脱水にかける時間は障子紙や書道半紙など、用途によって異なります。
脱水後は乾燥機による乾燥です。和紙は刷毛を使って、シワが寄らないよう素早く乾燥機のステンレス板に貼り付けて乾燥させます。乾燥した和紙はもう一度厚みや破れ、ゴミなどの品質チェックが行われ、規格に合わせて裁断されます。
ここまでの工程を経てようやく大洲和紙は完成するのです。このように大洲和紙の工程には都度都度不純物やゴミの除去などの作業が含まれており、職人によるこの丁寧なチェックが日本一の和紙の品質を支えています。
大洲和紙の現代での使われ方
大洲和紙は障子紙や書道半紙として高い需要を誇っています。特に薄くて強いうえ、ムラが少ないことから、大洲和紙の書道半紙は多くの書家から支持されています。
また、内子町で400年以上の歴史を誇り、毎年5月5日に行われる伝統行事「いかざき大凧合戦」で使用される凧の紙としても長年使用されています。
近年ではこれらの用途だけでなく、メモ帳やパスケースなどの小物類も生産。
さらに、大洲和紙にヨーロッパの金箔貼りの技術「ギルティング」を施した和洋折衷の新たな作品も制作されています。
大洲和紙の見学・体験ができる場所
大洲和紙会館
所在地 | 愛媛県喜多郡内子町平岡甲1240-1 |
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電話番号 | 0893-44-2002 |
定休日 | 年末年始、お盆 |
営業時間 | 8:30~17:00 |
HP | https://www.we-love-uchiko.jp/spot_suburbs/spot_k5/ |
備考 | 平日のみ紙漉き体験可能(要予約。1,500円) |
五十崎社中
所在地 |
愛媛県喜多郡内子町平岡1592-1(工房) 愛媛県喜多郡内子町平岡甲1240-1 天神産紙内(ショールーム) |
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電話番号 | 0893-44-4403 |
定休日 | |
営業時間 | 9:00~17:00 |
HP | https://www.ikazaki.jp/about/ |
備考 |
ギルティング教室(ショールームにて) 2名~要予約。 参加費:1,500円(材料費込み) |